百之助の思い

「ぎゃらりい百之助」のオーナー大掛基晴(おおがけもとはる)は広島生まれ、神戸の地で職人であった叔父の工房で丁稚奉公からはじめ、約45年のキャリアを持つジュエリー職人である。35年前独立、ジュエリー卸問屋の街南船場で大掛工房を開設、2017年に現在の地京都に工房を移転、現在に至る。

「百之助」の名は、自身の祖父の名に由来する。祖父はとても頑固であったが、祖父を尊敬し、何よりも百之助の名がかっこよかった。
また、とてもおめでたい響きだった。いつかこの名を冠した工房を作るというのがいつしか大掛の夢となった。
そして都に上り、夢がかなった。

工房では、多くのジュエラーを支える職人として、大手メーカー、ホテル、百貨店等の高級宝飾品を扱う。
2008年より自身オリジナルを制作、ギャラリー等にて発表。

しかしあくまでも職人としてのプライドを忘れず、職人魂に徹する日々は変わらない。
大掛は言う。ここまで来ることができたのは、今までの自分を取り巻くすべての人々のおかげだと。これからは恩返しの人生を歩んでいきたい。お世話になった方々への恩返しはかなわない場合が多い。であるなら後進の人たちに何かを残したい、受け継ぎたい、そんな思いだと。

若手の育成には最適の道具・機会がここにはあると自負する。やる気があるなら、自分を利用し、踏み台にしてもらっても構わないと思っている。
強いて言えば、若手の「登竜門」のような存在になれれば本望である。

もう一つ大掛の大切な思いがある。自分の居るジュエリー業界が欧米のように、アンティークといわれるような、時代によって左右されないような確固たる地位が築けるような時代を作りたいということである。永く引き継がれていくジュエリーを作りたいという思いである。

「ぎゃらりい百之助」は、こんな大掛の思いと、「GALLERY心」のシンクロによって生まれる。
表現者への機会の提供と、お金ではない惜しみない援助と、交流の場の提供、伝統の継承・継続。そんなことができる場所を作るという目的が双方一致を見たのである。

京都と東京という場所で、同じ思い・目的をもった空間が存在することの意義はとても大きいと思う。「ぎゃらりい百之助」は京都への入り口であり、東京への入り口であってほしい。今は、ささやかながら京都と東京を結ぶ赤い糸でありたいと願っている。やがては太いパイプのように成長することを祈って。